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“叛逆の物語”へ向けて『魔法少女まどか☆マギカ』のコラム的考察Ⅴ

ライターさん(最終更新日時:2013/10/22)投稿日:

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5.5 まど神の元型たる巴マミ

 マミはまどかが希望の概念となったまど神の元型であると考えられます。

 それは、「貴方は希望を叶えるんじゃない。貴方自身が希望になるのよ。私達、すべての希望に」との言葉を放つ、最終話のマミがまどかにノートを返すシーンに象徴されているといっていいでしょう。希望の概念のバトンタッチといえるかもしれません。

 マミが魔法少女になった際の祈りは劇中で具体的に描写されていませんが、“生きたい”

とするのが最も適切であると考えます。この“生きたい”というのは、〈この世は生きるに値する〉という考えの本能的な側面といえます。

しかし、でも指摘している部分、第10話のマミが心中を企てるシーンは少し複雑です。

これは、マミが本当に錯乱していたのか、それとも心中という行為によって人々を守るということを意識していたのか分かりませんが、結果論からいえば、「ソウルジェムが魔女を生むなら」と論理的なセリフが出てくるように後者であったことが十分考えられます。

ワルプルギスの夜についてこの時間軸のマミが知っていたのかどうか分かりませんが、ワルプルギスの夜まで死ぬことが出来ないことを咄嗟に感じたのか、〈この世は生きるに値する〉という心の才能のもとなのか、結局のところまどかによってマミは殺害されます。

この結末は、まどかの心やマミの元々持っていた魔法少女としての姿勢と相違しているように考えることも出来ますが、前述のように後者であったと考えると、ワルプルギスの夜までか今なのかという差異があるだけで、直後のシーンでまどかがほむらに自身の殺害を依頼し、それが果たされていることを鑑みれば、まどかも「ソウルジェムが魔女を生むなら」というマミと同じ理由で死を選んでいることになり、後にまどかの心が導き出す結末と、その心も結果も同じであると言えます。それぞれの胸中にある、人々を守るという〈この世は生きるに値する〉という考えのもとで、マミもまどかも同じ結末を辿ったといえるでしょう。

このように、魔法少女となったマミとまどかの生き方は、『まどマギ』という物語の中で常に合致しています。それは、第3話でまどかがマミに「同じことが、わたしにもできるかもしれないって言われて、何よりも嬉しかったのはそのことで」や「だからわたし、魔法少女になれたらそれで願いことは叶っちゃうんです」と告白しているように、魔法少女であるマミの人生の意味をまどか自身の存在によって全面的に肯定されているので当然といえば当然といえます。

また、さやかの魔法少女になる理由について忠告している一方で、まどかの姿勢について受け入れているのは、マミの寂しさや孤独を埋めるものであった点も理由としてあげられますが、さやかの契約への意欲を削いでいることからも、より根本的には上記のマミ自身の人生の肯定に由来する、マミと同じ真の魔法少女観をまどかが持っていたからだと考えられます。

この魔法少女観というのは、まどかが第4話や第5話でマミについてみんなのために一人ぼっちで戦っていたことを否定していないように、「みんなのため」に戦う魔法少女の姿を肯定することです。マミの魔法少女観も、マミが使い魔も倒していることから自分のためだけでない事が分かります。そして、マミもまどかも、己の人生の意味のために、自分のために魔法少女として戦うことで自動的にそういった「みんなのため」の姿になっています。自分のためであり、他人のためでもあるというのが、マミとまどか、二人の真の魔法少女観といえるでしょう。

『まどマギ』では、マミの誰にも知られなくても自分のために「みんなのため」にひとりぼっちで戦うという姿は、同じような誰にも知られない希望の概念となる物語へまどかを導きました。それは「Don’t forget, …」というメッセージにも直結しています。

4話でのまどかの「わたしは覚えてる」「マミさんのこと、忘れない。絶対に」というのは、マミとまどかの真の魔法少女観を同じくする師弟関係の強さと〈この世は生きるに値する〉という同じ信念を表していますが、のちに、ほむらとまどかという「最高の友達」の関係で同じような真の魔法少女観を今度はほむらが持つに至ったように見えるのは決して偶然ではないと考えます。(但し、ほむらの魔法少女観がマミやまどかと同じ信念からくるものなのかはで論じます)

5.6 親不孝になる鹿目まどかの必然

 5.5のマミの項目で、まどかにも必然的に触れることになったため、ここでは最終話の母・詢子とのシーンを振り返ります。

 他の項目でも述べたように、『まどマギ』におけるまどかは、生への肯定という〈この世は生きるに値する〉という信念をもった人物であると考えます。

 ですが、そういった生への肯定を持っている人物がなぜ、第10話で何度もワルプルギスの夜へ自身の死を覚悟してまで戦ったり、最終話で概念となることが分かっていたにも関わらずキュウべぇと契約したりするのでしょうか。

 これは、自己言及のパラドックスと言われるものに似ていると思います。

 自己言及のパラドックスとは、ひとつの真理と思われるものを述べたことで、逆にそれ自身の定義によってその真理と思われるものが矛盾を孕むことになってしまうことです。

 つまり、〈この世は生きるに値する〉ということを生命は大切であると言い換えたならば、生命を脅かすもの(例:ワルプルギスの夜)が迫ってきても、生命は大切であると真理を述べた生命(例:まどか)が、その真理故に生命を脅かされてでも撃退するということができなくなり、結果として生命は大切であると述べた生命(まどか)が死んでしまい、生命が大切にされないことになって、真理が破綻してしまうということです。

 そういった自己言及のパラドックスを乗り越えているのがまどかといえるでしょう。死の覚悟を持ってワルプルギスの夜と対決するのは、決して生命を粗末にするような安直な自己犠牲ではないのです。生命をかけがえのないものと判断するからこその決断といえます。

〈この世は生きるに値する〉いうのは生命の尊厳という言葉に言い換えられると思いますが、その生命を脅かすものに関しては生命を懸けてでも戦って良いという条件付きの真理といえます。厳密には条件がつく時点で真理でなく、信念なのですが。

 ただし、この論理は、真理を脅かすものに関しての定義が曖昧であるため、例えば、ワルプルギスの夜は本当に生命を脅かすものなのか、たとえそうだとして(真理に含まれる大切な)生命を懸けずにやり過ごす方法はないのかといった点について吟味し絶対の確証を得なければなりません。

 この点が、『まどマギ』では、第11話における母・詢子の「誰かの嘘に踊らされてねぇな?」という追求・確認の言葉に表されています。

 以上の事から、親不孝なのか、本当の意味での親孝行なのかは分かりませんが、まどかが家族と完全に離れてしまう結末が必然であることが分かります。

 (また、このシーンについて、詢子の親としての間違いやまどかの子としての間違いといった観点から考察されているのを見かけますが、個人的には、物語としてはよりシンプルに捉えるべきで、それ以上のことは言及できないと考えます。シンプルというのは、第2話で父・和久に母・詢子について「生き方そのものを夢にするの?」と聞いてその答えにまどかが納得していることから、〈この世は生きるに値する〉というのをまどかがしっかりと両親から受け継ぎ、受け継いだがゆえにまどかが逝ってしまうのであって、そこには間違いのようなものは無いと考えるからです。もしも、それを防ぐのであれば〈この世は生きるに値する〉というものを与えたこと自体を間違いとするしかなくなるのではないでしょうか。最後に母・詢子が納得して送り出す姿は、親として〈この世は生きるに値する〉ということをまどかに教えられていると信じているからこそだと感じます。)

 

最終話「わたしの、最高の友達」の提示するもの

(5.7) 暁美ほむらのペシミズム

 ほむらとまどかは似ています。

10話でほむらが「無理だよ…。私なんにもできない。人に迷惑ばっかりかけて、恥かいて。どうしてなの?私、これからもずっとこのままなの?」と語っている事は、第3話でまどかがマミに「きっとこれから先ずっと、誰の役にも立てないまま、迷惑ばかり掛けていくのかなって」と吐露しているように自分の人生の意義や生きる意味について自信が持てずに疑問を持っている事と同じです。

まどかは最初の出会いの時も最終話も魔法少女になることで、ほむらは(おそらくまどかを励まし続けた後、最終的に)まどかのために魔法少女になることで、自身の人生の意義・生きる意味を見つけます。

そして、4.4で述べたようにほむらは能動的ニヒリズムの超人と同じような生き方になっていきます。一方、まどかは、描写されている範囲では、魔法少女になった後どのような時も、〈この世は生きるに値する〉という価値観を捨てていません。

まどかがワルプルギスの夜を倒した後に魔女になっていくのも、そういった価値観を徹底して堅持しているがゆえにワルプルギスの夜を倒さねばならず、その結果生じた魔力の膨大な消費・奇跡の代償によるものです。

何度か引用しているシーンですが、第10話で、まどかはソウルジェムが濁り切っていても、ほむらの「こんな世界、何もかも滅茶苦茶にしちゃおっか」という提案は拒否しています。まどかがほむらのソウルジェムを浄化する行為は、時間遡行者であるほむらへの頼み事だけでなく、「最高の友達」として〈この世は生きるに値する〉ということを教えてあげたかったのかもしれません。また、第5話でマミに言及するほむらに対してまどかが「そんな言い方やめてよ!」と、物語で唯一直情的に怒るシーンは、まどかは魔法少女にもなっていませんでしたし、その秘密も知りませんでしたが、その考え方がのちのまどかにもあると考えると象徴的です。

このように魔法少女になったまどかとほむらの着地点は違います。

4.4では能動的ニヒリズムとしましたが、まどかが概念化した後のほむらはどうでしょうか。

まどかの弟たっくんに笑顔も見せたほむらですが、「悲しみと憎しみばかりを繰り返す、救いようのない世界だけれど」と述べています。

これはこの世を徹底して無意味・無価値とする能動的ニヒリズムよりも、むしろ〈世界〉の本質は悲惨であり能動的ニヒリズムのような救済すら無いといったペシミズムに近いように感じられます。

10話での「彼女を守る私になりたい」というほむらの願いが叶っているのかという点、最終話での「まどか!行かないで!」という納得していない点などが、能動的ニヒリズムであったほむらを、もしかすると、より悲観的な“私には救いなんて無い”というペシミズムへと導いてしまったのかもしれません。

「だとしてもここは、かつてあの子が守ろうとした場所なんだ」というセリフからのほむらの強い決意は、能動的ニヒリズムのようでもありますが、やはり「救いようのない世界」という言葉が重く、「だとしても」という仮定によって、少なくともそういったペシミズムがほむら自身の中に根付き始めていることを示しています。

ここから、まどかの残した思いとほむらの内奥のペシミズムともいえる〈世界〉に対する眼差しがどうしても乖離しているように考えさせられます。上記の決意は、まどかという他者の存在によって支えらており、非常に脆いので、自分を言い聞かせるようなかたちのセリフとなっているのだと思います。

Don’t forget, …」というメッセージも、突き詰めれば、『まどマギ』という物語において一貫して存在している〈この世は生きるに値する〉という生への肯定を、主体的に捉えなければ意味を持たないと考えます。

以上、ほむらの心奥に存在しているものはこのようなものだと思います。それが多くの人に一抹の不安を与えるラストシーン、黒い翼のほむらで表現されているのでしょう。

『まどマギ』は、救いなどなくても人は生きていけるのではないかという物語なのでしょうか?果たして本当にほむらは生きる目的を、まどかのいなくなった〈世界〉で見つけているのでしょうか?まどかの〈この世は生きるに値する〉という信念は正しかったのでしょうか?

『まどマギ』という物語は〈この世は生きるに値する〉という生への肯定の強いメッセージとともに、〈この世は生きるに値するか〉という問題も提起しているようにみえてなりません。

『[新編]叛逆の物語』は、この問題、具体的にはほむらへと差し迫っているこの問題への一つの答えを明示するものだと考えます。

最後に、総集編の通称イヌカレーロールの引用をもって、考察を終えることにします。

 

 


そのことばはきこえなくとも

胸のおくへはとどくはず

あらゆるものにすがたをかえて

かがやく粉をまくのです

まちの上でもなみの下でも

 

わたしのただひとりの友人

よばれることのないかわりには

いつでもそこにいるのです

 

うつろいゆくこのすべては

青の灯(ひ)の希望の比喩に過ぎません

かつてのすべてはいまみたされる

ことばにできぬ魔法たちでさえ

ここに遂げられる

いつか永遠のその希望が

わたしたちをむかえにくるのです

 

Magica Quartet『劇場版 魔法少女まどか☆マギカ[後編]永遠の物語』[Aniplex2012年、

魔女文字を翻訳された方に敬意を表して、一部漢字表記に編集])

※原文は魔女文字。翻訳された方のひらがなを基に編集。「灯(ひ)」については「日」「陽」「火」も可能。

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