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ライターさん(最終更新日時:2014/1/5)投稿日:

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パール判事の講演より
パート1・16 :名無しさん :02/02/24 22:40 ID:vblHlI0u


「要するに彼ら(欧米諸国)は、日本が侵略戦争を行なったと
いうことを歴史に留めることによって、自分らのアジア侵略の
正当性を誇示すると同時に、日本の17年間の一切を罪悪と烙印
することが目的だったにちがいない。
私は1928年から1945年までの17年間の歴史を2年7ヶ月かかって
調べた。この中には、おそらく日本人の知らなかった問題もあ
る。それを私は判決文の中に綴った。この私の歴史を読めば、
欧米こそ憎むべきアジア侵略の張本人であることがわかるはずだ。
それなのに、あなた方は、自分らの子弟に「日本は犯罪を犯した
のだ」「日本は侵略の暴挙を敢えてしたのだ」と教えている。
満州事変から大東亜戦争にいたる真実の歴史を、どうか私の判決
文を通して充分研究していただきたい。日本の子弟が歪められた
罪悪感を背負って、卑屈、頽廃に流されてゆくのを私は平然と見
過ごすことはできない。
誤られた彼らの宣伝の欺瞞を払拭せよ。
誤られた歴史は書き換えられなければならない。」

ラダ・ビノード・パール(インド、極東国際軍事裁判判事)
昭和27年11月5日、広島高等裁判所での講演より




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「パル判決書」
パート1・167 :文責:名無しさん :02/02/28 01:47 ID:ByAYyT6f

1923年度の「国際問題概観」には、英語使用国の輿論および外交が
「一歩一歩巧妙なる策略を弄し」日本をその強固な地位と思われた
立場から負い出したと述べてある。
「日本は巧みにそして特別に、みずからの手によって作り上げた仕事
を破壊する特殊の役割を演じさせられた」。
中国もまたこの策動に参加する機会をもった。
「中国政府のベルサイユ条約調印拒否は、合衆国議会がこれを批准する
ことを拒絶した結果、意義深いものとなった」。
本官がいまこのことを述べているのは、どちらの側が正しく、またど
ちらの側が誤っているかをいうためではない。
本官は、奉天事件は中国側によって画策されたものであると主張する
日本の仮説を支持し、たとい中国側に軍事的準備が欠けていたとしても、
この仮説は、全然排除されないということを指摘しているに過ぎない。
この点において、中国側が獲得した中国に有利な最終的決定に関し、
国際連盟の到達した決定を、つぎのように見る第三者の批評家もない
わけではない。
すなわち「ヨーロッパは日本の特殊な困難、またはこの紛争の基本的
本案についてすこしの関心ももたないという感情を」生ずるように仕
組まれたものだというのである。
連盟の結論は、たんに「日本がジュネーブの計画をぶち壊したという
不愉快さ」だけによって、刺激されてできたものであると考えたもの
さえいた。
太平洋の周辺にある白人諸国による東洋人排斥運動は、その初期に
おいてはたんに地方的性質をもつものであった。
しかし漸次これは国家的運動の状態をとるようになり、国家による
立法、国家による法律励行の制度がその運動の帯びる特色となった。
この東洋人排斥の感情は、第一次世界大戦後その力を削がれること
なしに存続し、制限および排斥を支持する議論の重点は、しだいに、
経済論から文化的、生物学的議論に移っていった。
(略)
問題がもう一つあった。
すなわち、日本の人口過剰である。
ハウス大佐がバルフォア氏にたいして指摘したように、---この意見に
たいしバルフォア氏は、“強い共鳴”を示したが---「世界は彼らに
たいして、アフリカに行ってはならない。いずれの白人国家にも行って
はいけない。中国も駄目。シベリアにもはいってはいけないと言った。
しかも彼らの国は、土地はすべて耕し尽くされており、しかも日々に人口
の増加しつつある国家である。しかし、彼らはどこかへ行かなければなら
なかった」のである。
マイアミ大学のW・トムソン教授は、世界の人口の危険地点を指摘するに
あたって、次のように述べた。
「西太平洋地域でのもっとも緊急な問題は、日本の人口問題である。日本
は農業の拡張のために、よりいっそう領土を必要とし、その工業を発展させ
るために、さらに大きな鉱業至言を必要とする。現在における日本の中国
に対する政策は、この真に緊急な経済的必要によって決せられている。
・・・・日本の中国に対する政策は、満州を開発するためにはなにが最善
の手段であるかの判断によって、現在決せられており、将来もそうであろう。
・・・・これが現在の国際関係における通例のやり方であるから、決して
日本の信用をおとすものではない」。


日本の過剰人口問題はきわめて容易ならぬものである。
「可耕地一平方マイルあたりの日本の人口を他の諸国の人口に
比較すると、日本の割合は非常に高い。これは島国という特殊の
地理的構成に起因する」
「農作地に人口が高度に集中しているため、各人の保有地面積
はすこぶる狭小であって、農夫の35%は1エーカー未満、34%
は2.5エーカー未満を耕作している。耕地の拡張はその限度に達し、
また農法の集約もその限度に達している。これを約言すると、日本の
土地からは現在より以上の生産を期待することはできない。また就職
の機会を今日以上に多く供給することもできない」(リットン報告)

「パル判決書」



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チャンスは100分の1もなかった
170 :文責:名無しさん :02/02/28 01:51 ID:ByAYyT6f

「日米交渉は、最初から平和的解決をするチャンスは、100分の1もなか
った」 米国ハル国務長官供述書より

全交渉を通じてこの日本のなした試しみは合衆国を満足させながら、しかも
日本が不信義と条約義務不履行の非難の的とならないような同盟条約の
解釈を発見することであった。
これらの試しみは、日本側が逐次提案した諸解釈をたどれば明らかとなる
であろう。

「共同研究パル判決書」東京裁判研究会




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日本のおかげで

パート1・181 :文責:名無しさん :02/02/28 02:21 ID:1p70U7IH

英印軍の捕虜からインド国民軍の将校になった二万人近い軍人
たちが裁判にかけられたとき、首席弁護士を務めたインド法曹界
の長老、パラディ・デサイ博士は裁判で召喚された光機関長 磯田
中将、ビルマ方面軍参謀長 片倉中将のいる前で、堂々とこう語った。
「インドはまもなく独立する。この独立の機会を与えてくれたのは
日本である。インドの独立は日本のおかげで三十年もはやまった。
インドだけではない、ビルマもインドネシアもベトナムも、東亜民族
はみな同じである。インド国民はこれを深く心に刻み、日本の復興
には惜しみない協力をしよう」と。


「捏造された日本史」黄文雄



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「好きな国」1位
パート1・557 :バーチャバカ一代 ◆3iCOYKds :02/03/02 08:30 ID:TQjw3yIa

インド、パキスタンに対しては日本は両国の核実験(一九九八・五)以来、経済制裁を行っているが、
制裁解除について、森首相は「CTBT署名をはじめとする核不拡散の進展を注意深く見極めつつ、
しかし日本との二国間関係などの要素も考慮しながら、総合的に判断したい」と語り、CTBT署名だけを制裁見直しの条件にはしない、との柔軟な立場を初めて表明した。
現実的であり、とりわけ日印友好の過去、未来を考えるなら、対印制裁など、直ちに解除すべきである。
今年二・三月、インドで行った世論調査で「好きな国」の1位は日本(三三%)、2位米国(二九%)、3位英国(七%)、
「行ってみたい国」の1位日本(三一%)、2位米国(三〇%)、3位英国(七%)であり、
「日本は信頼できるか」では信頼できるが四五%、かなり信頼できるが二五%であった。日本国民が敗戦に打ちひしがれていた時、
東京裁判でインド人パル判事が堂々と日本無罪論を展開してくれ、またインド首相ネルーがインド象インデラを日本に贈ってくれた。
あの時以来の親日的なインドは、この世論調査にもまだ脈々と生きているではないか。このような友好感情、友好国民は、日本にとって、かけがえのない外交資産である。
そのインドが核実験をしたからと言って、日本に核攻撃をかけてくる心配など、皆無なのに、何で、経済制裁など課するのか。
日本は、自らのODA四原則に反して、核兵器を保有しているばかりか、どんどん開発増産、日本にまで照準を合わせてせっせと配備している中国に、世界一巨額(九八年一一億五八一六万ドル)を与え続けているではないか。
それでインドには制裁というのでは、もはや日本は外交不在としかいいようがない。




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なぜ、沈黙しているのか
パート2・193 名前: 文責:名無しさん 投稿日: 02/03/08 02:35 ID:Vk4E4H3w

再来日したパール博士は各地で講演会を行い、日本の法曹界やマ
スコミが、なぜ東京裁判の不当性、不法性に対して、沈黙している
のか、と問われた。

 いまや英・米・仏・独など世界の法学者の間で、東京とニュ
ルンベルグの軍事裁判が、果たし正当か否かという激しい論争
や反省が展開されている。...げんに英国法曹界の長老ハンキ
ー卿は「パール博士の無罪論こそ正論である」として「戦犯裁
判の錯誤」と題する著書まで出版している。しかるに直接の被
害国であり、げんに同胞が戦犯として牢獄に苦悶している日本
において、この重大な国際問題にソッポを向いているのはどう
したことか。なぜ進んでこの論争に加わらないのか。なぜ堂々
と国際正義を確立しようとしないのか。[1,p25]

 さらに広島の原爆慰霊碑に刻まれた「過ちは繰り返しません」と
いう文字を見て、パール博士は言った。

 東京裁判で何もかも日本が悪かったとする戦時宣伝のデマゴ
ーグがこれほどまでに日本人の魂を奪ってしまったとは思わな
かった。東京裁判の影響は原子爆弾の被害より甚大だ。
[1,p29]

 博士は、日本の法律家やジャーナリストが、東京裁判で提起され
た問題に対する本質的な論争、すなわち、「大東亜戦争は本当に侵
略戦争なのか」、「日本は平和に対する罪、人道に対する罪を犯し
たのか」という点に関して、あまりにも無関心、不勉強であること
にいたく失望した。

http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h10_2/jog059.html



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インパール作戦
パート3・97 :文責:名無しさん :02/03/31 17:40 ID:svOgLIYx

インパール作戦

「日本人はインパール(ビルマ最西端からインドでの戦争)作戦は悲劇の戦争と見て
いるが、インド人は華々しい独立戦争と見ている」

(略)

インド人は「インパール作戦は、インドの独立戦争である。我々が非力な為に、
日本軍に多大な犠牲を強いてまことに申し訳ない。永久に日本人の好意は忘れない」
と力説する。
熱烈に日本軍を誉める親日家は老人だけではない。
少年少女が、今戦争を見てきたように、日本軍将兵の奮闘ぶりを語るので、老人と
少年少女の日常会話が偲ばれてならなかった。
(平成9年5月25日号)

アジアの曙光 -6-

アセアンセンター代表 中島慎三郎



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卒塔婆を建てた村長
パート3・98 :文責:名無しさん :02/03/31 17:42 ID:svOgLIYx

卒塔婆を建てた村長

 インパール作戦で日本軍は惨敗した。シンハ村の村長は次のように語った。 
「レッド・ヒルの争奪戦で、戦死した日本軍の将兵の骨をを集める為、村民を総動員
した。村民は丘の激戦を見ていました。日本軍は全滅し、丘は真紅に染まりました」
イギリス軍がレッド・ヒル(真紅な丘)と名づけた理由がよく分かった。
村長はその丘の麓(ロッパチン村)にレンガを積んで、卒塔婆(高さ約4㍍)を建て、
毎年、日本軍が玉砕した5月20日には、村を挙げて法要していると言う。 
我々は、ロッパチン村の卒塔婆に参拝し、あつく礼を申し述べた。
卒塔婆の中心に貼られた白い大理石に、雄渾な日本の文字で立派な追悼の詩が書いて
あるので、尋ねたとら、村長は「我等の尊敬してやまない牧野財士先生が書いたもの
です」とほほえんだ。 
シンハ元村長は、「この頃私は呆けましたが、死ぬまで日本兵の墓を守ります。
私が死んだら、息子(現在の村長)が引き受けます。その後は孫が守ります」と
まことに実直である。 この優しい老人の家(村長の家)は、余りにも質素(貧乏)
なので心が痛んだ。竹の家に、竹の寝台、竹のテーブル、鍋釜と槍だけである。 
牧野先生は「農地が無かったら老村長はカルカッタに行って出稼ぎ人夫になって
いた」と教えてくれた。 
家の前に3百坪ほどの水田と養鶏場と養鯉池もある。畑には豆類と薬草が植えられ、
やせた小菊や菜の花が咲いていた。完全な自給自足である。
我々がレッド・ヒルを見上げている時、シンハ元村長は「生き残った兵隊はいなか
った」と涙を浮かべてつぶやいた。

(平成9年6月25日号)

アジアの曙光 -6-

アセアンセンター代表 中島慎三郎




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日本への感謝
パート3・134 :文責:名無しさん :02/04/01 01:18 ID:mtXEpQQ7

http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h9/jog002.htm
■1.日本への感謝■

 金では真の友人を得られないのは、個人レベルでも、国際社会で
も同じである。日本が厖大な経済援助を行っている中国の、我が国
に対する姿勢を見れば、この事は明らかである。

 真の友人を作るのは、共に汗を流し、そして時には、血を流さね
ばならない。これが国際派日本人の知るべき原則である。

 インド独立50周年を記念して、日印親善協会により全国5会場
で「インドの夕べ」が開催された。東京では、8月2日代々木公園
野外ステージで行われ、約8千人もの人が参加した。

 インド側代表の最高裁弁護士ラケッシュ・デヴィーディ氏は「イ
ンド独立の為に日本人が共に血を流してくれたことを忘れま
せん」と、大戦中の日本の行動を賞賛した。[1]

 こういう挨拶を聞いてほとんどの日本人はびっくりするであろう。
しかし、皆さんにもしインド人の学生やビジネスマンとつきあう場
ができたら、ぜひ以下の歴史的事実を語り合って、友情を育んで欲
しい。


■2.藤原機関■

 昭和16年9月、日米交渉が行き詰まり、対米英戦争が避けがた
い状況になった時、大本営参謀藤原岩市陸軍少佐は、マレー半島で
のイギリス軍の中核を占めるインド兵に対し、投降工作を行い、そ
れを将来のインド独立の基盤とする事を命ぜられた。そこで5名の
将校を加えた藤原機関が発足した。

 開戦後、日本陸軍がイギリス軍をなぎ倒して、破竹の勢いでマレー
半島を南下していった。そこにイギリス軍の一大隊が、退路を断た
れ、孤立しているとの情報が入った。イギリス人の大隊長を除き、
中隊長以下、すべてインド人との事である。

 藤原少佐は、一切武器を持たずに、この大隊を訪れ、大隊長に対
し、投降を勧めた。これで200名のインド投降兵の身柄を預かっ
たのだが、この中に、やがてインド国民軍の創設者となるモハンシ
ン大尉がいた。

 藤原少佐は、インド兵達と共にインド料理を手づかみで食べ、彼
らを驚かせた。イギリス軍の中では、こうした事は決してなかった
からである。これを機に、藤原少佐はモハンシン大尉に、この戦争
が長年、欧米に支配されてきたアジア独立の絶好の機会であり、
インド投降兵を組織して、インド国民軍を創設すべき事を説いた。

■3.インド国民軍の創設とチャンドラ・ボース■

 こうして昭和16年12月末に発足したインド国民軍は、各地で
イギリス軍中のインド兵を説得して、次々と自軍に加え、シンガポー
ル陥落時には、数万人の規模に達した。

 ここで、インド独立の志士チャンドラ・ボースが登場する。イギ
リス官憲の弾圧を逃れて、ドイツにいたボースは、18年5月、日
本に移って、東条首相からインド独立支援の約束をとりつけるや、
シンガポールに乗り込んだ。そして、インド国民軍総帥の地位につ
き、さらに自由インド仮政府を作って、英米に宣戦布告した。

 昭和19年1月のインパール作戦は、ボースがインド解放のため
に、「デリーへ」の合い言葉のもと、すべてをかけた戦いであった。
北ビルマから、インド東部に進攻、インド国内の独立活動を激化さ
せて、イギリスを一気に追い出そうとするものであった。

 しかしイギリス軍の日本軍に数倍する兵力と、雨期に入り、物資
補給が続かなくなった事から惨敗、参加した日印10万の将兵の内、
死者は3万人を数え、インド国民軍も8千の犠牲者を出した。冒頭
の「日本人が共に血を流してくれた」とは、この事である。

■4.インド独立■

 日本の敗戦後、イギリスはインド国民軍に参加した約2万名の将
兵を、反逆罪で軍事裁判にかけようとしたが、ガンジー、ネルー率
いる国民会議派は、「インド国民軍将兵は、インド独立のために戦
った愛国者である」として、インド全土での反英運動を展開した。

 イギリスは約2年間、弾圧を続け、数千の死傷者を出したが、つ
いにインドの独立を認めた。その際に、「インドの独立は、日本の
お陰で30年早まった」と、藤原は感謝されている。

 こうした経緯から、インドは戦後の日本に対してきわめて好意的
であった。戦争賠償の請求を放棄し、また東京裁判でも、インド代
表のパール判事が、ただひとり「日本無罪論」を唱えた。さらに復
興後の日本の国連入りをネルー首相は強力にバックアップしてくれ
た。

■5.復権するボース■

 ボースは、終戦の混乱の中、台湾で事故死する。インド政府は、
独立50周年を機に、国会議事堂の構内にボースの銅像を建て、ま
た誕生日の1月12日を、インド共和国の正式の祝日とした。

 シンガポールには、ボースがインパール作戦の犠牲者を弔うため
に建てた「無名戦士の墓」があったが、イギリス軍によって爆破さ
れていた。戦後50周年の95年、シンガポール政府はこれを「イ
ンド国民軍記念碑」として再建した。それには「インド国民軍は、
1942年、英国からインドを解放するため、日本軍の支援を受け
て、シンガポールで創設された」と記されている。
 
 同じく95年、インドから来日したムカジー外相夫妻は、東京杉
並区にある蓮光寺を訪ねた。ここに今もなお、ボースの遺骨が手厚
くまつられているからである。

■6.巨大な友邦■

 インドは、自由選挙を行っている世界最大の民主主義国である。
最近の自由化政策が成功して、経済も好調である。また法治主義も
定着し、投資先としての信用度は中国をはるかに上回る。そして反
英米感情から、日本企業を歓迎するムードも強い。

 インドとの友好関係をさらに発展させれば、ここに日本は親日的
かつ民主主義的な9億人もの人口を抱える巨大な友邦を持つことに
なる。それは、アジアの火薬庫・中国に対するカウンターバランス
としても大きな力となるであろう。



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自戒の念
パート3・147 :文責:名無しさん :02/04/01 14:07 ID:Q689vtJ2

B級ネタですが・・・

日本軍にとって手痛い敗北であり、悲惨な結末となったインパ
ール作戦。日本軍兵士は次々に力尽き、道端には死体の山がで
きていった。

「白骨街道」と呼ばれたその惨状を見たイギリス軍将校は、敗
走する軍隊の悲惨さを痛感したという。

しかし、インパール作戦を目撃していたインド人は、弾薬も尽
き食料もなく、衣服もボロボロになりながら、なおも戦おうと
する姿に尊敬の念を抱くとともに、彼等はここまで必死に戦っ
ているのに、我々は今までいったい何をしてきたのかと自戒の
念にかられたそうです。

♯これは余談ですが、イギリス軍の傭兵として戦っていたグル
♯カ兵は、たびたび日本兵の幽霊を目撃したことから、日本人
♯は魂で戦っていると思ったとか思わないとか・・・




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感謝状
パート3・581 :文責:名無しさん :02/04/06 01:28 ID:DqDG1sKm

 平成10年1月、インド国民軍(INA)から、インド解放の
ために戦い、インパール作戦で散華した日本帝国陸軍将兵に対し
て、感謝状が贈られた。

 感謝状は、インド国民軍全国在郷軍人会代表、S.S.ヤダバ
氏の署名が添えられ、次のように書かれている。

 われわれインド国民軍将兵は、インドを解放するために共に
戦った戦友としてインパール、コヒマの戦場に散華した日本帝
国陸軍将兵に対してもっとも深甚なる敬意を表します。

 インド国民は大義のため生命を捧げた勇敢な日本将兵に対す
る恩義を末代にいたるまでけっして忘れません。我々はこの勇
士たちの霊を慰め、御冥福をお祈り申し上げます。

              「日本の息吹」、H11.3

 インド独立50周年を記念して開かれた「インドの夕べ」にお
いて、インド側代表の最高裁弁護士ラケッシュ・デヴィーディ氏
は「インド独立の為に日本人が共に血を流してくれたことを忘れ
ません」と、大戦中の日本の行動を賞賛した。



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日本の力になってくれている理由
パート3・583 :文責:名無しさん :02/04/06 01:31 ID:DqDG1sKm

                 JOG読者Yさんよりの投稿

 私は今年33になります。我々の世代は、いわゆる「戦後教
育」を受けた先生が「戦後教育精神」に則り、更に濃厚な戦後
教育を施してきた、言ってみればきわめて毒性の強い時期に戦
後教育を受けた世代です。

 私も大学卒業後、社会人になるまでは、「日本の何から何ま
でが悪い」事に何の疑いも抱いていませんでした。しかし、私
の「信仰」に大きなショックを与えたのが、インド放浪中に読
んだ現地の児童向けの英文の児童書です。当時の私は、英語の
勉強のため、インドの行楽地を渡り歩いてはあちこちで入手し
た英語の文献に読みふけるということを繰り返していました。

 そのうち、インドの小学校高学年~中学生レベルのために書
かれた「世界の戦争」という児童書で、「日露戦争の勝利はア
ジアの国々に大いなる感動(jubilation)をもたらした」という
くだりがあったことです。最初、何かの読み間違いではないか
と思い、丁寧に辞書を引き直した覚えがあり、単語もはっきり
と覚えています。本当にアジアの国々が深い傷だけを負わされ
たのであれば、たとえ日本が経済的に重要な地位を占めるよう
になったとはいえ、児童が読む本にこのような事を書くでしょ
うか。

 この後、日本に帰った後、幾多の名著を読み、ようやく蒙を
啓くことができました。マスコミや教科書で「日本は戦争中、
アジアで悪いことばかりしてきた」等と喧伝される割には、在
留日本人孤児の件、戦後賠償が次々に放棄されたり低額で決着
されたりした件など、アジアの国々が戦後も陰に陽に日本の力
になってくれている理由が、戦前・戦中から戦後の事実を正し
く理解してゆくにつれて氷が溶けてゆくように理解されます。

 このような事実を一つ一つ理解してゆく度に、誇らしい気持
ちと同時に、美しい日本の精神風土を汚したくないという崇高
な義務を感じます。また、このような美しい事実ですら、「そ
れは日本人が特に偏狭なだけで、アジア諸国の人々は特に寛大
な心を持っているからだ」等とことさら日本人を卑下する理由
として教え込まれてきた少年時代の教育を悲しく思います。




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